そらとり

親の足元
2022/07/11 すべての投稿
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幼い頃、世界はまだまだ小さくて。

母の腕の中が全てでした。

手のぬくもりや胸の柔らかさ、そして心臓のリズムなどを感じてくつろいでいました。

 

やがて公園デビューを果たし、未知の世界にワクワクしながらもまだまだ恐怖が勝っていたのか、

なかなか母の足元から離れられずにいました。

 

それでも少しずつ世界の探求を始めて、母から少し離れて遊べるようになりました。

振りかえると笑顔で見守ってくれている、その安心感を糧に、どんどん遊ぶ範囲を広げていきました。

 

小学生の頃は、友だちと自転車で、よく「探検」に出かけていました。

探検と言っても、今思えばただの隣の学区で、

要するに親と一緒に行ったことがないところを自分で開拓していくことが「探検」でした。

 

田んぼに落ちたり池にはまったり側溝の角におでこをぶつけて血を流したり、

といったアクシデントもありましたが、

その度に、覚えていないけど、たぶん母親に面倒見てもらって安心して、

また次の「探検」に戻れていたんだと思います。

 

中学高校のときは部活に熱中して、

大学ではバイトに明け暮れ、

親と過ごす時間は減ってきたけど、

安心して帰る場所がある。

 

今思えば、それが僕の最大のリソース(心と身体の栄養剤)になっているんだなと。

 

バイトで貯めたお金で初めての1人旅で約1か月かけてアメリカをぐるっと周ってきました。

飛行機、長距離バス、レンタカー、ヒッチハイクを駆使して移動して、西から東、そして最後にハワイでスキューバダイビングまで。

 

飛行機に乗り遅れて空港で寝たりなどのアクシデントも当然ありましたが、

たっぷりと貯めこんだリソースのおかげで、

パニックにもならずホームシックにもかからず、落ち着いて対処できたんだと思います。

 

そんな経験を繰り返して、少しずつこころと身体をつなぐ神経系がレジリエンス(回復力)を高めていったのだと思います。

 

海外での様子はnoteもご覧ください。

 

ただ、僕も全てが順調だったわけではないし、母親との関係が難しい時期もありました。

今ならその理由がよくわかりますが、当時はつらかった。

その後12年間もメキシコに滞在したのも、親と距離を置くためっていう側面もあったのかもしれません。

 

皆さんそれぞれ、多かれ少なかれ、親との間でいいことや嫌なことがあって、

今のこころと身体の状態に結びついています。

特に幼い頃には、私たちの神経系は脆弱でまだまだ発達途中なので、

親や養育者との協働調整が必要です。

 

そうしてストレスを感じてグズッても、あやしてもらって調整してもらって「あ~大丈夫!安心!」っていうふうに落ち着きを取り戻していきたいんですね。そうすることで徐々にレジリエンスが構築されていくんです。

 

そういう経験が少ない人は、大人になった今、なんらかの生きづらさを感じている方が多いんじゃないでしょうか?

対人関係や仕事のストレス、または体調不良など感じていらっしゃるかもしれません。

医者に行って検査しても「異常なし」で「原因がわからない」って言われるかもしれません。

不登校のお子さんもそういった「調整不全」も原因かもしれませんね。

 

諦めないでいただきたいのは、

脳や神経系には可塑性があるということ。

可塑性とは、変化することができる、すなわち、まだ成長することができるということなんです。

 

その可塑性に注目して、そらとりでは調整ワークをしていきます。

 

頭痛や腰痛がなくなった!みたいなわかりやすい変化は感じにくいかもしれませんが、

じわりじわりと変わってくるようです。(個人差あります)

 

例えば、今まで長い間引きこもりだった方が、

・ヨガを始めました。

・趣味の教室に通いだしました。

・手作りのものをネット販売します。

などのお声をいただくのはすごくうれしくて、

それこそ外の世界への探求が始まったしるしで、

それって内側に安心安全を感じていないと出てこない欲求なんですよね。

 

 

あなたが、もしかしたら必要なときに十分に与えてもらえなかった「安心安全」の感覚を、

そらとりで体験していただけるよう、

僕自身は母なる大地に抱かれるために今日も明日も畑さ出るさ。

 

トラウマ脳リセットタッチ | そらとり (peraichi.com)

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