そらとり

バックパッカーらしからぬ・・
2020/06/30 ブログ
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かつて、バックパッカーだった時期があって、

主に、中南米を回っていました。

 

メキシコを中心に、グアテマラ、ホンジュラス、ベリーズ、コスタリカ、ペルー、ボリビア、ブラジル、、

と、結構歩き回りました。

 

が、今思えば、というか途中で気づいたんですが、、、

あんまりバックパッカーっぽくないなあ、と。。

 

というのも、当初、

「地球の歩き方」や「Lonly Planet」というガイドブックを片手に、

旅のプランを練って、

計画通りに目的地に着く、

ということをやっていたんですね。

 

「ここを夜行バスで行ったら明日の朝早くにはあそこに着いてる。

宿代が浮くし、午前中観光して、

ローカル線で隣の村に寄って昼飯だべて、

夕方まで写真を撮って、

でまた夜行バスに乗って移動したら宿代が浮いて、

晩飯はその辺で買ったものをバスの中で食べよう。」

 

こんな具合に、

自分で作ったスタンプラリーをこなしていくってことをやっていたんです。

 

道中、たとえかわいい女の子と目が合っても、

バスで知り合っておばあちゃんに

「ご飯食べていかない?」って声をかけてもらっても、

ごめんなさい、ぼくちょっと予定があるんで~、って

寄り道をせず、計画通りにできるだけ早くゴールすることを優先させていたんですね。

 

(予定ってなんやねん!?て感じですよね・・)

 

 

元陸上部だからかなあ。。?

 

とにかくゴールすることしか見えてなかったし、

予測不能な予期せぬ出来事に見舞われるのが怖かったし、

「計画」や「思考」にとらわれていて、

まったく「今」を楽しめていなかったですね。

 

(旅の計画を立ててる時が一番楽しかった気がする・・)

 

ただ移動して、景色を写真に収めて、また移動する。。

 

安い宿を見つけたり(300円とか)、

予定より1本早いバスに乗れた時なんかに快感を味わっていました。

 

そんな旅でも、

異国の風を感じたり、

日本にはないスパイスを味わったり、

独特な色彩があったり、

そこの人々が作り出す時間の流れを

楽しむことはできるんですが、、、

「交流」が生まれないですよね。

 

計画や思考に縛られて頭でっかちになっていて、

こころが閉じてましたね。

 

アンバランス。

 

するとね、いろんな出来事(アクシデント)が起こります。

トイレがない長距離バスの中で腹を下したり、

ピーマンと思って食べたものが実はハラペーニョで腹を下したり、

自分ではコントロール不能な出来事に襲われて、

人のお世話にならざるをえない状況が与えられます。

 

 

そうやって人と繋がって、

ぬくもりと思いやりを感じて、

自分ってちっぽけでまぬけでどうしようもない人間だって思い知らされて、

でも周りにいる人に支えられてなんとかこれまで生きてこられてるんだって、

深い感謝の気持ちに包まれるんです。

 

トイレがない長距離バスでは、

かなり迷ったあげく、、、

もうアカン!!!!

ってなる3秒前にもじもじしながら運転席まで歩いて行って、、、

「すみません、かくかくしかじかでトイレに寄ってください」って勇気をもって言いました。

 

他のお客さんにも迷惑かかるし、バスの進行にもかかわるし、

僕の都合で予定を狂わせることなんて、

いっちばん避けたいことなんです。

しかもめっちゃカッコ悪いし!!!

 

でも、トイレから戻ったら、

運転手からもほかの乗客からも拍手で迎えられました。。

「日本から来た若者よ!旅を楽しめ~!!」みたいな感じで。。

それまでの危惧が吹っ飛びましたね。

実はそのバスの移動時間は50時間。。

2日間一緒に旅をするわけです。

その後ほかの乗客の人と仲良くなりました。

食べるものを分け合ったり、

片言のスペイン語で話したりしながら、、

朝焼けに染まるサボテンの林の風景を楽しみました。

 

ハラペーニョ事件の晩には、

バハカリフォルニアの安宿のトイレで、

ぼくの懺悔と感謝は、

遠く日本にいる父にまで及びました。。

「おとん、ごめんなさい、ありがとう~。」って。

 

その後もいろいろありまして、

じょじょにぼくのハートはやさしくこじ開けられていくんですが、

それでもまだ思考タイプは思考タイプらしく、

それはもうぼくの1つの資質として受け入れて、

いいふうに使っていけばいいかなと思っています。

 

クラニオセイクラルセラピー・バイオダイナミクスに出会ったのも、

思考を静めて、ハートをやわらかく広げていく、

僕自身のためだったんだなあって思います。

 

世のため、人のため、なんて言っていますけど、

実は自分のため、

自分を癒すために、

仕事選びや、

ボランティア活動をしてるってこと、

けっこうあるんじゃないかなあって思っています。

 

 

この前、とある番組で、

育児放棄に遭った女性が保育士さんになられた、

ってのをやっていて、

すごい話やなって思いました。

 

というわけで、

ぼくの頭を静めるには、

あなたの頭が必要なんです。

 

たとえあなたの頭が

「やまないおしゃべり」に侵されていても大丈夫です。

 

それを共に静めていくすべを、少しばかり心得ております。

 

1人の瞑想ってなかなか難しいかもしれませんけど、

クラニオを通して、一緒に静けさに入っていきましょう。

 

思考って、かなりのエネルギー費やしています。

 

思考が鎮まれば、

ハートをこじ開ける活力が湧いてくるかもしれませんし、

身体にエネルギーが満ちてくるかもしれません。

 

頭と、こころと、身体と、

バランスを保っていきたいですね。

 

東山動物園とかにある誰かが作ったスタンプラリーには、

あまり興味のないそらとりでした。

 

 

 

 

~編集後記~

トラブルもなく、淡々と生きているように見える人でも、

ちょっと前までは、

波風激しい人生を送っていらっしゃったかもしれません。

 

波に打たれるたび、

自分を見つめ、

気づいて、

改めて、

 

調和が取れてきたんじゃないでしょうか?

自分自身の頭とこころと身体と。

周りの人たちと。

宇宙のエネルギーと。

 

するときっと、波が小さくなってくるんじゃないでしょうか?

 

荒波を派手に乗りこなしているひとよりも、

穏やかな波をゆっくり進んでいるひとのほうが、

実は人生の達人かもしれませんね。

 

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