愛知県一宮市のクラニオ 整体 そらとりです。
先日、とあるお宅に出張施術に行かせていただいたとき、こんなことがありました。
(クライアント様のご了承を得て書かせていただいています)
お子さん2人の施術を終え、お母さまの施術をさせていただきました。
親子3名様で、クラニオセイクラルセラピー・バイオダイナミクスを受けていただきました。
近くに山が見える、静かな住宅街の一軒家です。
無垢の木で作られた素敵なおうちです。
一次呼吸の波が、山まで届くようなそんな静けさの中、施術を終わらせていただきました。
「はい、終わりました。ありがとうございました。」とお声をかけさせていただいたものの、
その静けさがあまりにも心地よすぎて、持参した施術用の椅子に腰を掛けたまま、目を閉じていました。
そのとき、ふいに、光の粒子が上の方から降りてきました。
ああ、きれいだなあ、気持ちがいいなあと思いながら身を任せていました。
すると、徐々にその光の粒子は密度を上げて、そのお部屋全体が光で満たされました。
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その光の粒子たちは、ぼくの身体の中にも溶け込み、
細胞1つ1つを清めてくれているような、
そんなこそばがゆい心地よさを楽しんでいました。
ふと、ご主人の遺影のお写真が脳裏に浮かびました。
ご病気で亡くなられた優しそうなご主人です。
すると今度は、その光の粒子の重みが増しました。
ここちよい、重みです。
ずっしりと愛と慈しみが詰まった光の粒子で、内側、外側、そこらじゅうが満たされました。
ご主人さんは、こんな強い愛情でご家族を見守っていらっしゃる。
深くて、力強くて、優しくて、言葉では言い表せないくらい。
1人の人間がこれほどの愛情を抱けるのかと驚くほど、
全宇宙を味方につけたかのような力強い、それと同時に繊細な愛の粒子です。
僕の身体中の細胞が歓喜にふるえて、自然に涙が溢れてきました。
これは、奥様に伝えてくれってことかなと思って、後でお伝えさせていただきましたが、
それと同時にもう1つ感じたことがあります。
それは、僕はどうなんだ?ってことです。
家族を、そんな火傷しそうな愛情で日々包み込めているかということです。
日々の暮らしの中で、ついつい「雑」になってる、
そんなことだらけのような気がして、とても恥ずかしくなりました。
言葉のかけ方、
お話の聞き方、
表情の一つ一つ、
包丁の入れ方、
料理の盛り付け方、
テーブルへの出し方、
洗濯物の干し方、たたみ方。。
僕の家族との「在り方」と、ここのご主人さんの愛と慈しみの光の粒子とのギャップの大きさに、
愕然とするのを通り過ぎて、わらけて鼻水が出てくる感じでした。
それだけ、圧倒的でしたってことです。
毎日一緒にいると、見えなくなってしまうものってあるんでしょうか。
まだ子供が2人だったころ、妻と僕との4人でメキシコで暮らしていたことがあるんですが、
2009年に新型インフルエンザがメキシコでも大流行して、
企業の駐在員の方たちが一斉に帰国する中、
3人目の子供を妊娠していたということもあって、家族を先に日本へ帰らせたんですね。
空港へ見送りに行って、1人アパートへ帰ってきたときの寂しさには自分でも驚きました。
床にはトーマスのおもちゃがまだ散らばったままなんです。
でも子供たちはいない。。
声も聞こえない。。
その後1年くらい日本とメキシコと、離れて暮らしていましたが、
その時の方が日々感じる愛情ってのは強かったかもしれません。
いろんなものをアマゾンで注文して送ったりね。。
今ではもっぱら自分のものしか買わないですよ。笑
それをね、ここのお宅のご主人さんに咎められたというか、
そんなんじゃもったいないじゃないかって気づかされたような感じです。
肉体をもって触れ合えるんだから、
言葉と言葉を交わせられるんだから、
そういう1つ1つを大事にしたら?って。
感じたことを奥様にお話したら、
生前、ご主人さまによくマッサージしてもらってたこと、
施術中、一緒に来てしてもらってるような感じがしてたこと、
いつも一緒なのはわかってるけど、他の人にそうやって言われるとうれしい、などとおっしゃられていました。
光のシャワーについてはきょとんとされているようでしたが、
光の中にいる人には光は見えないんだと思います。
僕は闇に潜んでるから光がまばゆくて仕方がないんですね!
もしかしたら、今日、一番癒されたのは僕かもしれません。
帰りには家族が喜ぶ顔を想像しながらおいしそうなケーキを買って、
夕飯の後はパソコンも開かず、久しぶりに家族5人そろって、インディペンデンスデイを観ました。
ありがとうございました。
草場一壽が描く陶彩画作品「天照大神-弥栄-」
お宅にお邪魔する前に、近くの神社へお参りさせていただいていましたし、
もしかしたら、神様のお計らいかもしれません。
また、本当はこんなこと、なんの特別なことでもなく、
こころとからだを静めれば、いつでもだれでも、
光の粒子に満ち溢れた世界を垣間見ることができるのかもしれません。
でも、あのとき、あの場所で、まだお会いしたこともない
ご主人さんとお話をさせていただいたような気持ちが強くて、
そしてその感覚を忘れないために、
ここに記しておこうと思いました。
ありがとうございました。